どうやって、人を助けますか?
貧を済うに財を以てし、愚を導くに法を以てす。
財を積ざるを以て心とし、法を惜しまざるを以て性とす。
『性霊集 第二』
(恵果阿闍梨は)
貧民を救うには財貨を用い、
庶民を導くには仏法を用いました。
財貨を蓄積しないことを信条とし、
仏法を伝え広めることに力を惜しまないことを宗としました。
空海が中国で密教の教えをあますことなく授かった恵果和尚が亡くなった時に、
二千人いたといわれる弟子の中で、
空海がその石碑に刻む言葉を書きました。
これはその時の一節。
恵果和尚の人柄を賛嘆した部分です(石碑は現存しません)。
恵果和尚とちがって、
貧困の人にあげるお金もなく、
特に人徳があるわけでもない私の場合はどうだろうかと、
よく考えます。
困っている人がいたら共感を宗として笑顔で励まし、
前に進めない人がいたら肩を組んでともに歩きはじめ、
愚か者がいたら「がははは」と笑って
「一緒に考えようではないか」と前にどっかと座って酒を一杯すすめる……。
今の私にはそんなところかもしれません。
どんな人に対しても、
恵果和尚のようにできればいいのですが、
とりあえずは身近な人に接する時の心がまえとして、
よいキャッチフレーズだと思います。
心すがすがしく、
こだわらず、
そして持っている力を出し惜しみしなかった師僧について、
空海はこのあと、
名言を加えます。
恵果(えか/けいか、746年 – 永貞元年12月15日(806年1月12日))は、中国唐代の密教僧で日本の空海の師。俗姓は馬氏。長安の東にある昭応の出身。真言八祖の第七祖。真言八祖像として描かれるときは、童子を従えた姿に描かれることになっている。
引用;ウィキペディア